高市早苗 出典:ANN

高市早苗の英語力は凄い?どのくらい話せるのか?話せる理由はなぜなのか

2025年10月、高市早苗氏が日本の新たなリーダーとして選出され、その動向に国内外から熱い視線が注がれています。特に注目を集めているのが、高市氏の英語コミュニケーション能力です。

就任直後の2025年10月26日、マレーシアで開催されたASEAN(東南アジア諸国連合)関連会議での外交デビューは、その英語力が公の場で披露される大きな機会となりました。このスピーチを巡っては、SNSや各種メディアで「堂々としている」「物怖じしない姿勢が素晴らしい」といった肯定的な意見が上がる一方で、「流暢(ペラペラ)とは言えないのでは?」といった冷静な分析もなされています。

また、記憶に新しい2025年9月の自民党総裁選におけるネット討論会では、ひろゆき(西村博之)氏から英語での回答を突然求められる場面もありました。この時の対応も、高市氏の英語力を測る一つの試金石として、今なお多くの人々の記憶に残っています。

果たして、高市早苗氏の英語力は本当に「凄い」のでしょうか?あるいは「どのくらい」話せるレベルなのでしょうか。その英語力を支える背景には、どのような経歴があるのでしょうか。

この記事では、高市早苗氏の英語力に関する様々な情報や評価を多角的に収集・分析し、以下の点を徹底的に検証していきます。

  • 高市氏の英語力が話題となったASEANでのスピーチと専門家の具体的な評価
  • 「ペラペラではない」という指摘と、場面に応じた英語力の実際
  • 英語を話せるようになった理由とされる、知られざる米国での経歴
  • ひろゆき氏からの「英語で回答して」という問いに、高市氏はどう対応したのか
  • 日本の総理大臣にとって英語力はどれほど重要か、そして過去の堪能な総理は誰か
  • ネット上で見られる賛否両論の反応と、その背景にある日本人の「英語観」

本稿では、特定の立場に偏ることなく、中立的な視点から事実を整理し、高市早苗氏の英語力の実像に迫ります。この記事が、日本のリーダーシップと国際コミュニケーションについて考える一つの材料となれば幸いです。

目次 Outline

1. 高市早苗氏の英語力が話題に?その実力は「凄い」レベルなのか検証

高市早苗 英語 出典:ANN
高市早苗 英語 出典:ANN

高市早苗氏の英語力が公の場で大きな注目を集めたのは、2025年10月の総理大臣就任後、初の本格的な外交デビューとなったASEAN関連会議でした。この国際舞台でのパフォーマンスが、さまざまな議論の出発点となっています。

1-1. ASEAN外交デビューでの英語スピーチが注目の的

2025年10月26日、高市氏はマレーシアで開催されたASEAN関連の首脳会議に出席しました。総理大臣として初めて臨む多国間外交の舞台であり、その一挙手一投足がメディアを通じて報じられました。

この場で高市氏は、英語によるスピーチを披露しました。日本の新しいリーダーが、国際会議の場で通訳を介さず自らの声でメッセージを発信したことは、国内外に強い印象を与えました。特に、その堂々とした振る舞いや、物怖じしない姿勢に対しては、SNSなどを中心に「日本の総理として頼もしい」「臆せず話す姿に好感が持てる」といった肯定的な反応が多く見受けられました。

このスピーチが、高市氏の英語力に対する国民的な関心を一気に高める大きなきっかけとなったことは間違いありません。

1-2. 専門家による多角的な評価

この外交デビューを受けて、メディアでは様々な専門家が高市氏の英語力を分析しました。その評価は、決して「凄い」という一辺倒なものではなく、多角的な視点からなされています。

ジョセフ・クラフト氏(経済アナリスト)の視点
2025年10月26日放送のフジテレビ系「Mr.サンデー」に出演したアメリカ人の経済アナリスト、ジョセフ・クラフト氏は、高市氏の英語について「正直、言うとそんなにうまくないんですが」と、流暢さ(フルーエンシー)の観点からは率直な評価を下しました。しかし、続けて「物怖じせず英語をしゃべる姿勢はすごく好感が持てる」と、そのコミュニケーションに臨む態度を高く評価しました。言語の正確性以上に、臆することなく対話しようとする姿勢が、国際的なコミュニケーションにおいては重要であるという見方です。

須賀川拓氏(戦場ジャーナリスト)の視点
一方、JNN元中東支局長であり、国際報道で「ボーン・上田記念国際記者賞」の受賞歴もある戦場ジャーナリストの須賀川拓氏は、10月27日にX(旧ツイッター)で異なる角度から言及しました。須賀川氏もまた、「英語ネイティブの視点から見たら、決してペラペラではない」と、クラフト氏と同様に流暢さについては一線を画しました。

しかし、須賀川氏が注目したのはその「変化」と「努力」です。「でも、以前の動画と比べて、ものすごく努力されたのだなと感じます」と述べ、過去の高市氏の英語と比較して明らかな進歩が見られる点を指摘しました。さらに、「言語能力があっても伝わらない人もいる。この、『伝える力』を英語では『delivery』と言います。発音が全てでは、決してありません」と続け、完璧な発音や文法よりも、メッセージを相手に届けようとする「伝える力」こそが核心であると強調しました。その上で、「高市総理を必要以上に持ち上げる必要はないし、むしろその努力に敬意を持つべきだと思います」と結んでいます。

これらの専門家の評価を総合すると、高市氏の英語力は、ネイティブスピーカーのような流暢さ(ペラペラ)という点では「凄い」とは言えないものの、「臆せずに堂々と話す姿勢」や「この日のために努力を重ねたプロセス」、「メッセージを伝えようとする力(delivery)」において、特筆すべき点がある、とまとめることができます。

1-3. 田崎史郎氏「英語がしゃべれるのは強い」と政治的価値を評価

政治ジャーナリストの田崎史郎氏は、2025年10月27日放送のTBS系「ひるおび!」において、高市氏の英語力を政治的な「強み」として評価しました。

田崎氏は「やっぱり、英語がしゃべれるっていうのは強いですよね」とコメント。その理由として「男性の総理大臣だと、うまくしゃべれる人って、そんなにいないんですよ」と、これまでの日本の政治リーダーと比較した上での優位性を指摘しました。一例として「林芳正はすごいですけど」と、現職の官房長官である林氏の名前を挙げつつも、高市氏が自身の強みを外交の舞台で「遺憾なく発揮している」と分析しました。

これは、英語が「うまいか、うまくないか」という技術的な評価を超え、英語でコミュニケーションが取れるという事実そのものが、現代の首脳外交において強力な政治的資産(武器)になる、という専門的な見解です。

1-4. 「しゃべり方がトランプ氏に似ている」という意外な指摘

高市氏のスピーチに関して、非常に興味深く、意外な指摘も飛び出しました。前出のジョセフ・クラフト氏が「Mr.サンデー」で述べた、「あと、しゃべり方がトランプに似ていると僕は思う」というコメントです。

これにはスタジオのMCである宮根誠司氏も「はっはっは」と目尻を下げるなど、驚きをもって受け止められました。これは、発音の正確性や文法の流暢さといった技術的な側面ではなく、聴衆に強く訴えかけるような独特の抑揚、間の取り方、あるいは自信に満ちた(あるいは、そう見せる)身振り手振りといった「演説スタイル」が、米国のドナルド・トランプ前大統領を彷彿とさせる、という意味合いであると推測されます。

高市氏が意識的にトランプ氏のスタイルを模倣しているのか、それとも偶然似ているのかは定かではありません。しかし、今後、日米首脳会談などでトランプ氏と対面する可能性も取り沙汰される中、この「話し方の類似性」が両者のコミュニケーションにどのような影響を与えるのか、あるいは与えないのか。政治外交の観点から、非常に興味深い分析と言えるでしょう。

2. 高市早苗氏は英語をどのくらい話せる?「ペラペラではない」という評価の実態

専門家からも「ペラペラではない」「うまくない」といった評価が聞かれる高市氏の英語力ですが、では具体的に「どのくらい」のレベルなのでしょうか。その実力は、どうやら「場面」によって大きく異なるようです。入念に準備されたスピーチと、アドリブが求められる即興の質疑応答とでは、そのパフォーマンスに明確な違いが見られます。

2-1. 共通する評価:「ペラペラ(流暢)」ではないという実像

まず、本記事で取り上げた複数の専門家(クラフト氏、須賀川氏)や、ネット上の多くの意見(例:「決して流暢な英語ではなかったですが…」)に共通しているのは、「高市氏の英語は、ネイティブスピーカーのように淀みなく話す『ペラペラ』なレベルではない」という客観的な評価です。

ここで言う「ペラペラ」とは、一般的に、文法的なミスや発音の訛りをほとんど感じさせず、どのようなトピックについても即座に(アドリブで)流暢に意見を述べられる状態を指すことが多いでしょう。その定義に照らし合わせれば、高市氏の英語は現時点ではそのレベルには達していない、というのが大方の見方です。

しかし、ここで強調しておきたいのは、「ペラペラではない」という評価が、即座に「英語ができない」「コミュニケーションが取れない」という評価にはつながらない、という点です。須賀川氏が「伝える力(delivery)」の重要性を説いたように、言語はあくまでツールであり、その運用能力は多角的に評価されるべきです。

高市氏の英語力は、この「ペラペラ」という一言では測れない、特定の場面で強みを発揮するタイプである可能性が高いと言えます。

2-2. 場面①:準備されたスピーチ(原稿あり)は着実に実行可能

高市氏が英語力を最も安定して発揮するのは、入念に準備されたスピーチやステートメント(声明)を読み上げる場面です。

今回のASEANでのスピーチがその代表例ですが、高市氏は過去にも閣僚として国際舞台で英語スピーチをこなした実績が確認されています。

例えば、内閣府の公式サイトには、高市氏が宇宙政策担当大臣(当時)として、2024年11月に開催された「第6回 宇宙の持続可能性サミット」において英語で開会挨拶(Remarks by Minister Takaichi)を行った際の英語原稿(PDF)が掲載されています。また、外務省のサイトにも、2022年9月26日のIAEA(国際原子力機関)総会において、科学技術政策担当大臣(当時)として行ったステートメント(声明)の英語原稿が公式に記録されています。

これらの公的記録は、高市氏が「国際会議の場で、準備された英語原稿に基づき、公式なメッセージを発信する能力」を確実に有していることを裏付けています。これは、国の代表として活動する上で不可欠な、基礎的かつ重要なスキルです。

須賀川拓氏が指摘した「ものすごく努力された」という点も、こうした公式スピーチの質を高めるため、発音や抑揚、間の取り方などを入念に練習し、準備を重ねてきたプロセスを指していると考えるのが自然でしょう。

2-3. 場面②:即興の質疑応答(アドリブ)では日本語を選択する傾向

一方で、高市氏の英語力が試されるのが、原稿のない「即興の(アドリブの)質疑応答」や「突発的な討論」の場面です。そして、これまでの公の場での対応を見る限り、高市氏はこの種の場面においては、英語ではなく日本語での回答を選択する傾向が顕著に見られます。

その最も象徴的な事例が、次章で詳しく解説する、2025年9月の総裁選討論会における「ひろゆき氏とのやり取り」です。この時、高市氏は流暢な英語で長々と答えることはせず、特定のフレーズのみを英語で発し、本論は日本語で展開するという対応を取りました。

これらの事実から、高市氏の英語力の実像を以下のように整理することができます。

  • 得意な場面:国際会議での定型挨拶や、事前に準備された原稿に基づく公式スピーチ。これらの場面では、練習と努力に基づき、堂々と英語での発話を実行できる。
  • 慎重になる場面:台本のないライブの質疑応答や、長時間の即興討論。これらの場面では、意思の正確な伝達とリスク回避を優先し、日本語(+通訳)での対応を基本とする。

したがって、「高市氏はどのくらい話せるのか?」という問いに対しては、「準備されたスピーチは問題なくこなせるが、即興での流暢な長文議論(ペラペラ)のレベルであると判断できる公開情報や実績は、現時点では不足している」と答えるのが、最も中立的で正確な評価と言えそうです。

3. 高市早苗氏が英語を話せる理由はなぜ?その経歴的背景とは

高市早苗氏の英語力が、国際会議でのスピーチや専門家の分析によって「流暢ではないが、堂々としている」「努力の跡が見られる」と評価される中で、多くの人が抱く疑問は「その英語力はどこで培われたのか?」という点です。いわゆる帰国子女や海外の大学を卒業したという経歴が広く知られているわけではないため、その背景には強い関心が寄せられています。その答えは、彼女の20代、政治家になる前のキャリアにありました。

3-1. 英語力の基盤:米国連邦議会フェロー(U.S. Congressional Fellow)という経歴

高市早苗氏が英語を話せる最大の理由であり、その英語力の確固たる基盤となっているのが、「米国連邦議会フェロー(U.S. Congressional Fellow)」という経歴です。

これは、高市氏が神戸大学を卒業し、松下政経塾を卒塾した後、1987年(当時26歳頃)から約2年間にわたり、米国ワシントンD.C.の連邦議会で実務を経験したことを指します。この事実は、首相官邸や自民党の公式プロフィール、あるいは経済安全保障担当大臣(当時)の紹介ページなど、彼女の公的な経歴紹介において常に記載されてきた重要なキャリアです。

この「フェロー」という経験は、一般的な「語学留学」とは根本的に異なります。語学学校で英語を学ぶのではなく、米国の政治の中枢である連邦議会という「職場」に所属し、実際の議員スタッフらと共に働くことを意味します。いわば、政治の最前線での「オン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)」であり、極めて高度な実践的英語力が求められる環境であったことは想像に難くありません。

この松下政経塾のプログラム(あるいは、それに関連した形)での派遣経験が、彼女のその後の政治キャリア、そして国際的な舞台でのコミュニケーション能力に多大な影響を与えたことは間違いないでしょう。

3-2. ワシントンD.C.での実務経験と「実務型」英語力の形成

では、米国連邦議会フェローとして、高市氏は具体的にどのような業務に従事していたのでしょうか。

報道や公表されている情報によれば、高市氏は民主党のパトリシア・シュローダー下院議員(当時)の事務所などに所属していたとされます。議員事務所でのフェローの役割は、単なる雑用ではなく、政策立案のサポートが中心です。具体的には、担当分野(高市氏の場合は金融・ビジネス関連であったとされます)に関する法案の調査・分析、公聴会の準備、スピーチ原稿やレポートの一部作成など、立法活動に関わる実務が含まれます。

この環境が意味するのは、以下の点です。

  • 高度な専門用語の習得

    日常会話レベルの英語はもちろんのこと、法律、経済、金融に関する専門用語(ターミノロジー)を日常的に読み、書き、聞く必要がありました。

  • 実践的な文書作成能力

    調査結果をまとめるレポートや、議員のためのブリーフィング資料など、正確かつ論理的な英語ライティング能力が求められました。

  • 政治的な交渉・議論の場

    議員スタッフや他の専門家とのディスカッション、ロビイストや有権者とのやり取りなど、政治的なニュアンスを含む高度なコミュニケーションの現場に身を置くことになりました。

高市氏の英語が、専門家から「流暢(ペラペラ)ではない」と評されつつも、「訴えが相手に伝わる」「内容は理解できる」と評価されるのは、まさにこの経験に起因すると考えられます。彼女の英語は、発音の美しさや会話の滑らかさを追求する「会話型」の英語ではなく、目的(政策の理解、調査、報告)を達成するための「実務型」「実践型」の英語として鍛え上げられたのです。

この20代の濃密な経験こそが、彼女が英語を話せる最大の理由であり、その英語スタイルの原点となっていると言えるでしょう。

3-3. 「努力家」としての継続学習とブラッシュアップ

しかし、1980年代後半に培った英語力も、それから30年以上が経過すれば、日常的に使用する機会がなければ当然ながら錆びついてしまいます。ネット上のコメントでも「使わないと忘れちゃうんよ」「勉強し直せば思い出してくるから」といった指摘がありましたが、これは言語習得の真理です。

ここで重要になるのが、高市氏のパーソナリティに関する評価です。ジャーナリストの須賀川拓氏がASEANでのスピーチを見て「ものすごく努力されたのだなと感じます」と指摘した点、そしてネット上で「年齢とともに記憶力も体力も落ちます。その中で学び…努力家で優秀な方だと思います」といった声が寄せられている点は、示唆に富んでいます。

高市氏は、米国での経験という「土台」に胡坐をかくことなく、その後のキャリアにおいても、必要に応じて英語力をブラッシュアップ(学び直し)してきた可能性が非常に高いと考えられます。

特に、総務大臣や政務調査会長、経済安全保障担当大臣といった要職を歴任する中で、国際会議への出席や海外のカウンターパートとの交渉など、再び高度な英語力が求められる場面に直面したことは想像に難くありません。そして、総理大臣という国のトップを目指す(あるいは就任する)にあたっては、その必要性は格段に高まります。

須賀川氏の「以前の動画と比べて」進歩しているという分析は、高市氏が総理就任という重大な局面を迎え、国際舞台でリーダーシップを発揮するために、集中的な学習やトレーニングを積み重ねた結果であることを強く示唆しています。

したがって、高市氏が英語を話せる理由は、単に「過去に米国にいたから」というだけでなく、「①米国での実務経験という確かな土台」と、「②年齢や立場に関わらず必要なスキルを学び続けるという努力家の側面」の二つが組み合わさった結果であると結論付けるのが最も妥当でしょう。

3-4. (補足)経歴に関する過去の議論について

高市氏のこの米国での経歴については、過去に一部で議論が起きたことも補足しておきます。特にひろゆき氏がX(旧ツイッター)で、「米国連邦議会立法調査官」という日本語訳について、「(米国籍でなければ)公務員になれないはずだ」と疑問を呈し、一時「経歴詐称疑惑」として取り沙汰されたことがありました。

これに対し、高市氏側は「Congressional Fellow(コングレッショナル・フェロー)」が正式な肩書きであり、その役割を日本語で説明するために「立法調査官」という訳語を用いた、という趣旨の説明をしています。「フェロー」は、厳密な意味での「公務員」ではなく、特定のプログラムに基づく研究員や客員スタッフのような立場であり、米国籍を必要としないケースが一般的です。

この議論は、主に「訳語の適切性」や「経歴の表現方法」に関するものであり、高市氏が米国連邦議会で実務経験を積んだという事実そのものを否定するものではありません。むしろ、この議論によって、彼女の経歴が「Congressional Fellow」であったことが再確認され、その実務経験こそが現在の英語力の源泉であるという分析の信頼性を高める結果となっています。

4. 高市早苗氏はひろゆき氏の「英語で回答して」にどう対応したのか?

高市早苗氏の英語力を語る上で、避けて通れないのが、2025年9月の自民党総裁選の際に見せた、あの有名な場面です。西村博之(ひろゆき)氏から突如として英語での回答を求められた際、高市氏が取った対応は、彼女の英語運用スタイルと政治家としての戦略を象徴するものとして、今もなお語り継がれています。

4-1. 2025年総裁選ネット討論会での「英語で答えて」

その出来事は、2025年9月27日に配信された自民党総裁選のネット討論会(カフェスタ×テレ朝×ABEMA 共同生配信)のさなかに起こりました。司会進行役の一人であったひろゆき氏が、討論が白熱する中、各候補者(高市早苗氏、林芳正氏、茂木敏充氏、小泉進次郎氏、小林鷹之氏)に対し、政策に関する回答を突如「英語で答えて」と促したのです。

これは、事前に共有されていたであろう討論の台本にはない、完全な「無茶振り」あるいは「アドリブ要求」であったと推測されます。生配信という緊張感の高い状況下で、日本の次期リーダー候補たちの「真の英語力」と「即座の対応力(瞬発力)」が試される、非常にスリリングな瞬間でした。

このひろゆき氏の質問は、単なる好奇心からではなく、グローバル化が進む現代において、日本のリーダーがどれだけ自らの言葉で国際社会と渡り合えるのかを問う、一つの「ストレステスト」としての意図があったのかもしれません。

4-2. 林氏・茂木氏の「流暢な英語回答」との鮮やかな対比

ひろゆき氏の要求に対し、候補者の対応は明確に分かれました。この対応の違いが、それぞれの英語力と政治スタイルを鮮明に浮き彫りにしました。

まず、当時すでに外務大臣経験者であり、ハーバード大学大学院への留学経験を持つ林芳正氏は、全く動じることなく、流暢な英語で質問の意図を汲み取り、自身の政策についてよどみなく説明を始めました。その姿は、田崎史郎氏が後に「林芳正はすごいですけど」と評した通りの、卓越した英語運用能力を示すものでした。

同様に、林氏と同じく外務大臣経験者であり、米国や英国への留学経験を持つ茂木敏充氏も、安定した英語でひろゆき氏の要求に応じました。

この2名の「流暢な英語回答」は、彼らが国際交渉の最前線で培ってきた「即興対応可能な英語力」を証明するものであり、視聴者に強い印象を与えました。

一方で、小泉進次郎氏小林鷹之氏の2名は、英語での回答を選びませんでした。彼らは「正確に伝えたいから」といった趣旨の理由を述べ、一貫して日本語での回答を選択しました。これもまた、リスクを管理し、自らの土俵(日本語)で確実に政策を伝えるという、一つの合理的な判断でした。

4-3. 高市氏の対応:“Japan is back.” からの日本語回答

では、米国連邦議会フェローという経歴を持つ高市早苗氏は、この緊迫した場面でどう対応したのでしょうか。

彼女の対応は、流暢に英語で答えた2名とも、完全に日本語で答えた2名とも異なる、第三の道でした。

高市氏は、ひろゆき氏の要求に対し、まず一瞬の間を置き、覚悟を決めたような表情で、力強くこう述べました。

“Japan is back.” (日本は戻ってきた)」

この一言のみを、印象的なフレーズとして英語で発信したのです。そして、このフレーズを言い切ると同時に、即座に日本語に切り替え、「日本が再び力強い国として戻ってくる、そのための経済政策、安全保障政策を…」といった趣旨の、政策に関する本論を熱意を込めて日本語で展開しました。

この一連の対応は、わずか数十秒の出来事でしたが、高市氏の英語力の実像、すなわち「即興での長文スピーチは選択しないが、臆することなく英語での発信も行う」というスタイルを、これ以上ないほど明確に示しました。

4-4. なぜ「一言だけ」だったのか?その意図と戦略分析

なぜ高市氏は、林氏や茂木氏のように英語で回答し続けなかったのでしょうか。また、小泉氏らのように完全に日本語に徹するのでもなく、あえて「一言だけ」英語を挟んだのでしょうか。

これは、高市氏なりの高度な政治的判断とコミュニケーション戦略であったと、多角的に分析することができます。

  1. リスク回避(即興英語の回避)

    まず最も大きな理由として、前述の通り、高市氏の英語力は「即興の流暢な討論」を得意とはしていない可能性が高いことが挙げられます。生配信という失敗が許されない場面で、不慣れな英語で複雑な政策論を試み、文法的なミスや不適切な表現(失言)をしてしまうリスクを回避したと考えられます。政策の正確な伝達を最優先し、最も得意な日本語を選択するという合理的な判断です。

  2. 「英語から逃げた」イメージの回避

    一方で、小泉氏らのように完全に日本語だけで回答した場合、「ひろゆき氏の要求から逃げた」「米国経験があるのに、結局英語ができないのではないか」というネガティブなイメージを持たれる可能性があります。これは、自身の「国際派」としての一面をアピールしたい高市氏にとって得策ではありません。

  3. 強みのアピール(一言のインパクト)

    そこで高市氏は、自身の強み(臆さない姿勢)を最大限に活かす戦略を取りました。それが、「一言だけ、最も強烈なメッセージを英語で発する」という方法です。“Japan is back.” というフレーズは、短く、覚えやすく、そして(安倍晋三元総理が使用したこともあり)彼女の政治的スタンスを象徴する言葉です。この一言を英語で発することで、「英語での対応もできる」という姿勢と、「力強い政治的メッセージ」を同時にアピールすることに成功しました。

  4. 議論の主導権の確保

    英語でのキャッチフレーズを提示した後、すぐに日本語でその詳細な説明(本論)に入ることで、議論の主導権を英語(ひろゆき氏の土俵)から日本語(自身の土俵)へと引き戻す効果も生み出しました。

このように、高市氏の「“Japan is back.” からの日本語回答」という対応は、自身の英語力の強みと弱みを冷静に自己分析した上で、政治家としてのパフォーマンスを最大化し、リスクを最小化するという、極めて「戦略的」な言語運用であったと高く評価することができます。

4-5. この対応が与えた印象とネット上での賛否両論

この高市氏の独特な対応は、視聴者やネット上で大きな反響を呼び、賛否両論を巻き起こしました。

肯定的な評価としては、「あの一言は格好良かった」「機転が利く対応だ」「逃げずに堂々としていた」「短い言葉で覚悟が伝わった」といった声が上がりました。英語の流暢さよりも、その「胆力」や「瞬発力」を称賛する意見です。

一方で、否定的な評価や揶揄としては、「結局、一言しか話せないんじゃないか」「林氏や茂木氏の流暢さと比べて見劣りする」「米国経験は伊達だったのか」といった、純粋な英語力不足を指摘する声も少なくありませんでした。

この一連の出来事は、良くも悪くも「高市早苗の英語力=即興は得意ではないが、臆することなく、象徴的なフレーズで対応できる」というイメージを、多くの人々に強烈に植え付ける結果となりました。そして、この時のイメージが、後のASEANでのスピーチ評価(「流暢ではないが堂々としている」)にもつながっていくことになります。

5. 総理大臣の英語力の重要性とは?過去に英語がペラペラだった総理は誰か

高市早苗氏の英語力がこれほどまでに注目を集める背景には、「日本の総理大臣は、そもそも英語が話せるべきなのか?」という国民的な関心事があります。そして、もし話せるべきだとしたら、過去に「ペラペラ」と評価された総理大臣にはどのような人物がいたのでしょうか。この章では、首脳外交における英語力の価値と、歴代総理の事例を深掘りします。

5-1. 総理の英語力:「強い加点要素」だが「必須ではない」という実態

まず、現代の国際政治において、一国のリーダーが英語を話せることは「必須条件」なのでしょうか。結論から言えば、「必須ではないが、あれば非常に強力な武器(加点要素)になる」というのが実情です。

「必須ではない」理由は、日本政府が世界トップレベルの高度な同時通訳体制を完備しているためです。首相官邸や外務省には、極めて優秀な通訳者が常駐しており、首脳会談、国際会議、記者会見など、あらゆる公的場面で首相の発言を正確かつ迅速に他言語(主に英語)に、またその逆も同様に翻訳します。

特に外交交渉の場では、言葉の微妙なニュアンス一つが国益を大きく左右しかねません。そのため、たとえ首脳自身が英語に堪能であったとしても、あえてプロの通訳を介し、一言一句の正確性や、公式な議事録としての一貫性を担保することは、外交上の標準的な運用(プロトコル)の一つです。

しかし、それでもなお、政治ジャーナリストの田崎史郎氏が「やっぱり、英語がしゃべれるっていうのは強い」と断言するように、リーダー自身の英語力は「強力な加点要素」となります。その理由は、公式な会議の「外」にある、非公式なコミュニケーションの価値にあります。

5-2. 英語力が外交にもたらす「信頼構築」と「直接交渉」の価値

外交の成否は、公式会談の席上だけで決まるものではありません。むしろ、会談前後の短い立ち話、夕食会での雑談、あるいはゴルフカートでの移動中といった、通訳を介しにくいインフォーマル(非公式)な場面でのコミュニケーションが、首脳間の個人的な信頼関係(フランス語で「ラポール」)を構築する上で決定的な役割を果たすことが多々あります。

例えば、安倍晋三元総理とトランプ前米大統領の親密な関係は、通訳なしで直接コミュニケーションが取れるゴルフ外交などによって培われた側面が大きいとされています。たとえ完璧な英語でなくとも、リーダー同士が直接、冗談を言い合ったり、家族の話をしたりすることで生まれる「人間的なつながり」は、公式会談での難しい交渉を円滑に進めるための重要な潤滑油となります。

高市氏の英語が、ネット上で「(英語は上手くないが)天然のコミュ力や人柄でカバーされてらっしゃる」と評されることがあるのも、このインフォーマルな場面での「人間力」としてのコミュニケーション能力に期待が寄せられているからかもしれません。

5-3. 英語での「直接発信」の重要性:岸田氏・安倍氏の米議会演説

リーダー自身の英語力が持つもう一つの強力な価値は、国際世論に対する「直接的な発信力」です。

記憶に新しいところでは、岸田文雄前首相が2024年4月に行った、米国の連邦議会合同会議での英語演説が挙げられます。この演説は、ユーモアを交えつつ、日米同盟の重要性を米国の議員や国民に直接訴えかけるもので、スタンディングオベーションを何度も受けるなど、極めて高く評価されました。この成功は、岸田氏自身の英語力(幼少期の米国在住経験や開成高校での英語劇の経験など)に裏打ちされたものでした。

また、安倍晋三元首相も、2015年に同じく米議会合同会議で「希望の同盟へ」と題する歴史的な英語演説を行っています。この演説もまた、日米関係の新たな段階を世界に強く印象付けることに成功しました。

これらの事例が示すのは、準備されたスピーチであっても、リーダーが「自らの声」で、通訳のフィルターを通さずに(あるいは通訳の遅れなしに)、情熱やユーモアを込めて直接語りかけることが、いかに聴衆の心を動かし、国際的なメッセージングにおいて絶大な効果を発揮するか、という事実です。高市氏がASEANで(流暢ではなくとも)英語でのスピーチを敢行したのも、この「直接発信」の価値を理解していたからに他ならないでしょう。

5-4. 過去に「英語が堪能(ペラペラ)」とされた総理大臣たち

では、高市氏や岸田氏、安倍氏以外に、過去の総理大臣で「英語が堪能(ペラペラ)」と評された人物には誰がいるのでしょうか。

林芳正 氏(現・官房長官、元外務大臣)
総理経験者ではありませんが、田崎史郎氏が「林芳正はすごいですけど」と名指しで比較対象に挙げたように、現役政治家の中ではトップクラスの英語力を持つとされています。彼はハーバード大学大学院への留学経験があり、通商産業省(当時)や大手商社での勤務経験もあります。ひろゆき氏の突然の英語質問にも、全く動じることなく流暢な英語で回答した姿は、その実力を如実に示していました。彼の英語は「即興のディベートや交渉にも対応できるレベル」と評価されています。

麻生太郎 氏(第92代内閣総理大臣)
麻生氏もまた、英語が堪能なことで広く知られています。彼は米国(スタンフォード大学大学院)や英国(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)への留学歴を持ち、外務大臣や総理大臣として、海外のシンクタンク(例:CSIS(米戦略国際問題研究所))などで英語による講演を何度も行っています。そのスピーチは、独特のユーモアを交えながら、流暢な英語で聴衆を引き込むものでした。

宮澤喜一 氏(第78代内閣総理大臣)
歴史を遡れば、宮澤喜一氏の英語力は「歴代随一」とも評されています。彼は留学経験こそないものの、戦後のキャリア(大蔵省など)を通じて独学で英語をマスターし、国際交渉の場で通訳を介さずに対等に渡り合ったとされます。

(その他、留学経験のある鳩山由紀夫元総理なども、英語が堪能であったとされています。)

5-5. 歴代総理の英語力比較と高市氏の位置づけ

これらの「英語堪能」とされる歴代リーダーたちと比較した場合、高市早苗氏の英語力はどのような位置づけになるのでしょうか。

林芳正氏や麻生太郎氏が、留学経験に裏打ちされた「即興対応・討論可能な流暢型」の英語力を持つとすれば、高市氏の英語力は、現時点ではそのレベルとは異なるように見受けられます。

むしろ、高市氏のスタイルは、安倍晋三氏や岸田文雄氏に近い、「準備されたスピーチで最大限の効果を発揮する努力型・発信型」の英語力であると言えるでしょう。安倍氏も岸田氏も、米議会演説という「ここ一番」の舞台で、入念な準備と練習に基づいた見事な英語スピーチを披露しました。しかし、日常的な即興の会話が常に流暢であったかというと、必ずしもそうとは言い切れない側面もありました。

高市氏がASEANで見せたスピーチ(準備されたもの)と、ひろゆき氏への対応(即興はフレーズのみ)は、まさにこの「努力型・発信型」の英語スタイルの特徴をよく表しています。彼女は、自らの強み(準備力、発信への意志)と弱み(即興の流暢さ)を理解した上で、総理大臣としてのパフォーマンスを最大化しようとしている、と分析することができます。

6. 高市早苗氏の英語力に対するネット上の反応まとめ(賛否両論)

高市早苗氏の英語力については、そのパフォーマンスが公になるたび、ネット上で非常に活発な議論が交わされてきました。特にASEANでのスピーチ後、Yahoo!ニュースのコメント欄などに寄せられた意見は、まさに賛否両論であり、日本社会の多様な「英語観」を映し出す鏡のようになっています。

6-1. 肯定的な反応:「努力を評価」「伝える力が大事」

まず、高市氏の英語力を肯定的に評価する意見が数多く見られます。興味深いのは、その多くが「流暢さ(ペラペラかどうか)」という技術的な側面ではなく、彼女の「姿勢」や「背景」、そして「コミュニケーションの本質」に焦点を当てている点です。

努力と気概への称賛
高市氏が64歳であることや、総理大臣という激務をこなしながら、国際舞台で臆せず英語を使おうとする姿勢そのものを称賛する声が非常に目立ちます。

例えば、「年齢とともに記憶力も体力も落ちます。その中で学び、激務をこなし…努力家で優秀な方だと思います」といったコメントや、「普通なら退職する年齢で日本と世界に立ち向かう高市さんの気概に感動しました」といった意見は、彼女のバイタリティと学習意欲への純粋な敬意を示しています。

また、「(昔留学していたとしても)使わないと忘れちゃうんよ。その時代海外で会話出来てたのが嘘のように今は忘れてしまっています。勉強し直せば思い出してくるから高市さんも努力してると思います」のように、自身の経験と重ね合わせ、言語学習の継続の難しさを理解した上で、その努力を評価する声も見られました。

「伝える力」の重視(脱・発音コンプレックス)
もう一つの大きな潮流は、「完璧な発音や文法よりも、伝える意志こそが重要だ」とする、コミュニケーションの本質を突いた意見です。

「日本人が英語が苦手な理由の一つです。発音がネイティブでなければダサい、話せる事にならないという風潮です。でも言語の1番は『気持ちを伝える事』…高市さんの英語力は素晴らしいです」というコメントは、まさにこの点を象徴しています。日本人にありがちな「発音コンプレックス」から脱却し、中身を伝えることを優先すべきだという主張です。

さらに、「伝えようという強い思いを持ち必死で言葉にしようとしています。相手の心を揺さぶるのはこうしたド根性英語です」といった、熱意を込めたコミュニケーション(ド根性英語)を評価する声や、「要は話し手の伝えたい内容を、しっかりと話せるかどうかがポイント。『すごく努力されたのだな』とあるが、高市総理は立派だよ」のように、ジャーナリストの須賀川氏と同様の視点に立つ意見も多く見られました。

6-2. 実務経験者からの「伝わる」という証言

肯定的な意見の中でも特に説得力を持つのが、実際に海外での実務経験を持つ人々からの評価です。

「私は20年以上海外で仕事をしていました。高市さんの英語スピーチを聞きましたが話の内容が英語で理解出来ており、訴えが相手に伝わる英語スピーチだと思いました」というコメントは、その代表例です。文法や発音が完璧でなくとも、ビジネスや実務の現場において「内容が理解でき、訴えが伝わる」のであれば、それは「使える英語」であるという、実践的な視点からの評価です。

このような実務経験者からの「伝わる」という証言は、「発音が独特だ」といった表面的な批判に対し、実質的なコミュニケーションが成立していることを示す強力な論拠となっています。

6-3. 否定的な反応・冷静な見方:「流暢ではない」という客観的事実

一方で、高市氏の英語力を手放しで称賛するのではなく、冷静に、あるいは批判的に分析する意見も存在します。その多くは、やはり「流暢さ」や「発音」に関する客観的な事実に着目したものです。

流暢さへの客観的指摘
「決して流暢な英語ではなかったですが、各国首脳と挨拶している映像を拝見しました。英語は必ずしも上手くないけど天然のコミュ力や人柄でカバーされてらっしゃるのだと思います」といったコメントは、その典型です。英語力そのものは高くないと客観的に評価しつつ、高市氏が持つ「(言語を超えた)コミュニケーション能力」や「人柄」といった別の要素が、彼女の外交パフォーマンスを補完しているのではないか、という冷静な分析です。これは、必ずしも否定的な意見ではなく、彼女の別の強みを指摘するものです。

発音や滑舌への言及
また、「発音が・・とかけなすコメをみるが…」というコメントが寄せられること自体が、裏を返せば「発音や滑舌を揶揄・批判するコメント」が一定数存在することを示しています。高市氏の英語は、いわゆる「ジャパニーズイングリッシュ」のアクセントが比較的強いとされ、その点を捉えて「聞き取りにくい」「総理として恥ずかしい」といった批判的な意見を持つ人々もいることが伺えます。

6-4. ネット反応の総括:日本人の「英語観」を映す鏡

このように、高市早苗氏の英語力に対するネット上の多様な反応は、単なる一政治家への評価を超えて、私たち日本人が「英語」というものにどのような価値観やコンプレックスを持っているかを、鮮明に映し出す「鏡」の役割を果たしています。

一方には、「発音がネイティブのようでなければダメだ」「文法的に完璧でなければ恥ずかしい」という、長年の英語教育で培われた(あるいは刷り込まれた)「完璧主義的な英語観(英語コンプレックス)」が存在します。この視点に立てば、高市氏の英語は「うまくない」「流暢ではない」と評価されることになります。

もう一方には、「発音や文法は二の次だ」「中身を伝える意志こそが重要だ」という、近年のグローバル化の中で重視されるようになってきた「コミュニケーション重視の英語観」が存在します。この視点に立てば、高市氏の英語は「努力している」「堂々としている」「伝える力がある」と高く評価されることになります。

高市氏のASEANでのスピーチや、ひろゆき氏への対応は、奇しくも、この日本社会に存在する二つの「英語観」が真っ向からぶつかり合う、象徴的な出来事となったと言えるでしょう。

ジャーナリストの須賀川拓氏が「高市総理を必要以上に持ち上げる必要はないし、むしろその努力に敬意を持つべき」と述べたように、どちらか一方の価値観に偏るのではなく、一人のリーダーが国際舞台で自らの言葉で発信しようと努力する姿を、その背景や文脈を含めて多角的に評価する視点が、今後ますます重要になってくるのかもしれません。

7. まとめ:高市早苗氏の英語力は総合的に「凄い」と言えるのか?

本記事では、高市早苗総理の英語力について、ASEANでの外交デビュー、専門家の評価、話せる理由となった経歴、ひろゆき氏への戦略的対応、歴代総理との比較、そしてネット上の多様な反応という、多角的な視点から徹底的に検証してきました。

最後に、本稿の結論として、冒頭の問いである「高市早苗の英語力は『凄い』のか?」について、複数の側面から総括します。

7-1. 結論①:「ペラペラ(流暢さ)」という意味では「凄くはない」

まず、英語を「ネイティブスピーカーのように流暢に、よどみなく話せるか(ペラペラか)」という純粋な技術的側面で評価するならば、高市氏の英語力は「凄い」とは言えない、というのが客観的な結論です。

これは、複数の専門家(クラフト氏、須賀川氏)が「うまくない」「ペラペラではない」と指摘していることや、ひろゆき氏への対応で即興の長文回答を選択しなかった(できなかった)ことからも明らかです。林芳正氏や麻生太郎氏といった、留学経験に裏打ちされた「即興討論型」の英語力とは異なるタイプであることは間違いありません。

7-2. 結論②:「努力と姿勢」という意味では「称賛に値する」

しかし、評価の軸を「流暢さ」から「姿勢」に移した途端、その評価は一変します。高市氏が64歳という年齢、そして総理大臣という想像を絶する激務の中で、国際舞台で自ら発信するために英語の学習を継続し、挑戦し続ける姿は「称賛に値する」と言えます。

須賀川氏が「ものすごく努力された」と評した点や、ネット上で「気概に感動した」「努力家だ」という声が多数寄せられたことは、多くの人々がその「姿勢」に感銘を受けている証拠です。この点において、彼女の取り組みは「凄い」と評価できます。

7-3. 結論③:「政治家としての戦略」という意味では「巧み(うまい)」

さらに、高市氏の英語の「使い方」は、政治家として非常に「巧み(うまい)」であると言えます。ひろゆき氏への「“Japan is back.”」という対応は、その象徴です。

彼女は、自身の英語力の強み(臆さない姿勢、米国経験の権威性)と弱み(即興の流暢さ不足)を冷静に自己分析し、公の場でリスクを最小限に抑えつつ、政治的パフォーマンス(力強いメッセージの発信)を最大化する戦略的な言語運用を行っています。これは、単なる語学力を超えた、高度な政治的コミュニケーション術であり、その「巧みさ」は特筆すべき点です。

7-4. 結論④:「外交上の武器」としては「強力な加点要素」

最後に、総理大臣という立場において、彼女の英語力は「外交上の武器」としてどう評価できるでしょうか。答えは「非常に強力な加点要素である」となります。

田崎史郎氏が「強い」と評したように、また安倍氏や岸田氏が米議会演説で示したように、日本のリーダーが「自らの声」で英語で発信すること自体が、強力な外交的メッセージとなります。たとえそれが完璧な発音でなくとも、準備された原稿であったとしても、その「直接性」と「熱意」は、通訳を介したコミュニケーションでは得難い価値を持ちます。

高市氏がその「武器」をすでに保有し、ASEANという最初の舞台で臆することなく使用したという事実は、今後の日本外交にとって間違いなくプラスに働くでしょう。

7-5. 最終的な評価と今後の展望

高市早苗総理の英語力は、単一の物差し(ペラペラかどうか)で測るべきではありません。それは、彼女の20代の「実務経験」という土台の上に、60代になっても続く「努力」によって積み上げられ、政治家としての「戦略」によって巧みに運用される、多層的な能力です。

ネット上で繰り広げられる賛否両論は、私たち自身が持つ「英語観」の表れでもあります。完璧な流暢さを求めるのか、それとも伝える意志を評価するのか。高市氏の英語は、その問いを私たちに突き付けています。

今後、トランプ氏との会談が実現するのか、あるいはG7サミットなどの国際舞台で、彼女の英語力がどのように進化し、どのように「外交の武器」として使われていくのか。その「伝える力(delivery)」の真価が問われるのは、これからです。彼女の努力と、日本のリーダーとしての発信力に、引き続き注目していく必要があるでしょう。

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